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ICHIの火葬の日に間に合いそうで良かった。
ICHIの棺に入れる手紙を書いた。
涙が出てきて中々進まなかったけど、
伝えたい事は最後まで書くことができたと思う。
夫も昨日の夜、泣きながら手紙を書いたらしい。
やっぱり涙なくしてはいられない。
これから先も、ICHIを思い出しては泣き、
顔を思い出しては笑うんだろうな…。(あまりにもそっくりで…)
夫が来た。相変わらず毎日来てくれる夫。
退院したらどこかに出かけようと話した。
来年もまた子作りしようと。
今度はICHIもついてるんだからきっと大丈夫だと。
私はこう思っていた。あまりに綺麗に産まれて来たICHI。
人によっては、見せてもらえない状態で産まれて来る子もいると先生が言っていた。
ICHIは私のお腹から出てきた時までは生きていたんじゃないだろうか?
頑張ってたんじゃないだろうか?
「ICHIは綺麗に生まれてきたね。もしかしたら22週まで、お腹の中でももったかもしれないね…」
「分からないよ。早く出してあげたから、あんなに綺麗に産まれたのかもしれないよ。」
夫の言葉に「そうだね…。」としか答えられなかった。
赤ちゃんがお腹の中で死ぬと分かっていてそれを待つのか、
それとも、死ぬと分かっているからこそ苦しませないように早く出してあげるのか。
答えは出ないと思う。早く出してあげないと、母体の状況も危なくなる場合があるし。
そういえば退院した時に、友人一人にだけ、妊娠と流産を伝えた子からメールが来ていた。
「とにかく、MaMa美が無事でよかったよ」
涙が出た。
色々と前向きに頑張ろうと思った。
ICHIが出棺する日。
昨日、火葬屋さんが来て一通り説明してくれた。
夫は朝からICHIの服やおもちゃを買ってきてくれた。
ICHIには何もかもが大きかった。
赤ちゃん用の手袋の半分の大きさで、RYOの帽子になるくらいだった。
ICHIの為の洋服、おもちゃ。涙が出てきた。
夫が私の前で初めて涙を見せた。私は初めて夫のつらさに気づいた。
子供を亡くした私を元気づけようと笑顔で支えてくれた夫。
どんな気分でICHIの服やおもちゃを買いに行ったんだろう…。
店員さんは笑顔で「お子さんにですか?プレゼントですか?」と言ってきただろう。
夫は言葉に詰まっただろう。
夫を抱きしめて頭を撫でた。
「ごめんね…」
私はいろんな意味を込めて謝った。つらいのは私だけではないのだ。
夫がICHIを抱っこして棺に入れた。
顔が血だらけだったらしく、火葬屋さんはICHIの顔を綺麗にしてくれた。
親なのに血だらけなの事が気づかなかった…。どうしていいのかも分からなかったし。
もっときれいになったICHIは本当に夫や義父にそっくりで思わず笑顔になった。
病気や傷のようなところもなく、とても可愛かった。
棺に入れたあと、病院の皆さんがお花を入れてくれた。嬉しかった。
笑ってみていようと思っていたけど無理だった。やっぱり泣いてしまった。
部屋からICHIが出棺したあと、安静にしていないといけない私は
夫と二人で泣きながら抱き合った。
「頑張ったね…。ICHIのためにも、次また頑張ろうね。」
しんと静まり返る部屋に、夫の腹の虫が鳴る。
タイミングよく鳴くお腹に二人で爆笑してしまった。
夫が帰って一人になると、どうしても泣いてしまう。
ましてや今日は、夫が私の前で初めて泣いたのだから。
夜、検温に来たベテラン看護士さんが涙を拭いてくれた。
ちょっとお話もした。
「産後はお腹がすくのか?」
「流産だとしても、産後と同じだからお腹がすくものよ。」
とパンをくれた。ここの病院は皆優しい人達ばかり。癒される。
夜中、心霊体験だろうか?
私には可愛がってくれていた祖父母がいる。
もうすでに他界しているが、私は今でも心の中で思い出したり話しかけたりしている。
車椅子で隣にだれかがやってくる感覚がした。
車椅子といえば祖父しか考えられない。
「おじいちゃん?」
と問いかけてみると、その感覚は無くなった。
怖いような怖くないような不思議な感覚。
もしかしたら祖父はいつまでも泣いている私を心配して来てくれたのかもしれない。
天国の皆さん、ICHIをよろしくお願いします。
何度もつぶやいて眠りについた。
バルーンは入れなくて済んだ。陣痛をつける薬を子宮に入れた。
1日に3時間か4時間おきに入れていくらしい。
陣痛が収まらないようにするためだろうか?
ベッドで安静にしている。まだ痛くない。
夫に電話した。
「早ければ今日中に生まれるかもしれない。そしたら電話する」
その後すぐにお腹が痛くなった。陣痛だ。
看護士さんを呼び、分娩台にあがる。
ここでまた検診し、具合によってはまた陣痛の薬を入れるという流れだった。
はずなんだが、どんどん痛くなるお腹。痛くて寝ていられなかった。
時計を見ながら痛い感覚を計ってみた。すでに5分感覚だった。
看護士さんがパンツの中を見ると、赤ちゃんが出始めていた。
すぐに点滴と血圧計?をとりつける。
先生が来るとすぐに出産の体系になっていた。
赤ちゃんはすぐに生まれた。なんと43分。超スピード安産だった…。
夫を呼ぶ暇も無かった。出産後、すぐに夫へ連絡してもらった。
赤ちゃんは生まれてすぐにどこかへ連れて行かれ、見る事も出来なかった。
私は子宮の掃除をするときに麻酔を打たれたらしく、そのまま朦朧としていた。
赤ちゃんを見たかったけど、夫と一緒に見ようと思っていたが夫はすぐに来なかった。
朦朧としたまま2、3時間が過ぎ、そろそろ自分の部屋に行かないとと思ったが
立ち上がる事ができず、看護士さんに支えられたまま車椅子へ移動。
しかも吐いてしまった。意識がとんだまま自分のベッドに入る。
全然動く事が出来ずに時間だけが過ぎていく。
夫が到着すると院長先生の回診があった。
赤ちゃんはとてもきれいに生まれてきたそうだ。
動けなかったが意識はあったので、「麻酔効き過ぎたね~。」なんて話もした。
夫に
「何ですぐに来なかったの?」
と聞いたら、
「やっぱり元気に産まれて来るなら早くくるけど、
亡くなってるから遅くても大丈夫かと思って…」
という言葉がかえってきた。ちょっと悲しかった。
もしすぐに来ていたら、赤ちゃんは生きていて、抱っこできたかもしれないのに…。
しかも、立会いできるんだと思っていた夫は
「産まれました!男の子でしたよ!」
の連絡に
「えっ?産まれちゃったの??」
と会話していたそうです。夫も残念がっていました。
麻酔が切れ始めたのは夜8時半くらいだった。
出産してから8時間近く立っていた。
赤ちゃんを部屋に連れてきてもらった。
普通に生まれた赤ちゃんが寝るベッドに居た。嬉しかった。
タオルが掛けられている。我が子ながら見ることにドキドキする。
まぎれもなく私の赤ちゃんだった。夫と義父にそっくりで笑ってしまった。
親バカだろうか?とても可愛かった。
顔立ちはしっかりしていたし、骨格もきれいだった。
むしろ笑っているように見えた。自己慢な錯覚かな…。
赤ちゃんは胸で手を合わせていた。病院側の配慮が嬉しかった。
男の子だった。体を見ていたら、爪もあった。小さい…。
看護士さんは陣痛や出産時の時間、母体の状況などの理由から
とても親孝行なベビーだったと言った。涙が出た。
名前もつけた。夫が、男の子だったらこれにしようといくつか候補にしていた名前。
今日は夫の宿泊許可が出たので、息子のICHIと一緒に3人で寝た。
今日、2月3日はICHIの誕生日で亡くなった日だった。
今日から薬を止め、ラナミリアという海藻で出来た棒を入れ始めた。
朝と夕方で交換しながら増やしていく。
朝は10本近く入れ、夕方はプラス5~10本くらい入れたらしい。
入れるときはかなり痛かったが、我慢した。
痛かったけど、お腹の赤ちゃんの事を考えれば痛くなかった。
痛いと言う事も叫ぶ事も出来なかった。
だって、赤ちゃんはこれから死ななければならないのだから。
それに比べたら、私なんかが「痛い」「苦しい」「つらい」なんて言えなかった。
入れた後は生理痛みたいな痛さが続く。
陣痛はもっと痛いんだろうね。
子宮が広がれば、明日から陣痛をつけていくらしい。
明日か明後日には産声をあげない赤ちゃんが産まれて来る。
これくらい頑張らなくちゃ・・・。
夫が、シャワーもあびることのできない私に、体を拭くための液体を
買って来てくれた。それで体を拭くと、だいぶすっきりした。
夫は毎日通ってくれる。会いに来てくれる。
とても嬉しかった。夫と居るときは、なぜか笑う事もできた。
夫が夫で良かったと心から思った。
病院に来てからずっと熱が出ていた。普段の平熱は35.5度。
熱は36.8度~37.4度くらいを行き来していた。
この日、やっと熱が下がった。
前向きにと考えて、実両親に電話をした。
私の両親は別居中。仲が悪いわけではなく仕事の関係でだ。
まあ仲も若干悪いかもしれないが…。
はっきり言って私は実家があまり好きではない。
父は私の体を心配してくれた。涙が出た。
流産の原因を疑問に思いながらも最後まで話を聞いてくれた。
母はあんまり人の話を聞かなかった。ただびっくりしてうるさかった…。
あまつにさえ、兄の彼女の子供
(うちとの血の繋がりは無く、出来婚ですぐに×1。私はこの人をあまり好きではない)に、
「MaMa美頑張れ~」と笑いながら言わせる始末。腹が立った。子供に罪は無い。
が、実母なのにその態度はなんだと腹立たしくて仕方なかった。
父とは別の意味で涙が出た。悲しかった。
本当なら私の実家にとって、私の赤ちゃんが初孫なのに…。
夫が帰ったあと、あまりの母の態度のひどさにむかついて泣きながら怒っていた。
先日、先生に出産の方向でお願いした。
そのせいか、方針が変わったので点滴が外された。
今日から出産に向けて子宮口を開いていく。
子宮口を開くための薬を飲み始めた。
少しだけ冷静になってきた。
ベビーに謝るばかりだったけど、私や夫の事を話しかけ始めてみた。
義母はもう天国にいるから、義母にかわいがって貰うんだよ?とも。
肝っ玉お母さん的な看護士さんと話をした。
「こういうものは縁だから…。仕方ないとしか言えない。
長年産婦人科にいるけど、MaMa美さんみたいな人は必ずいる。
赤ちゃんは残念だったけど、頑張って産んであげよう。」
という感じの事を話した。
また、私の破水の原因が不明なことについて。
「感染症というのが一番多い理由なんだけどねぇ」
私は、クラミジアやHIV、梅毒などの感染症では無かったせいもあり、
破水については原因不明で、「こればっかりは分からない」という返答だった。
先生も右に同じだった。
肝っ玉お母さん看護士さんは泣いている私を元気づけてくれた。
ちょっと元気が出た。
トイレで用をたしていると、
「パン!!」
という音ともに破水。
一瞬何が起きたのか分からず、ただびっくりしていた。
股をトイレットペーパーで拭いてみると大量出血していた。
それと温かい液体がだらだらと出てくる。
一気にパニックになり泣き出す。
でもお腹の赤ちゃんに何かあったんだと思い、急いで産科に電話。
「入院の準備をしてすぐに来てください」
と言われたが、お腹はまだ5ヶ月。
そんな準備なんて全く用意していなかったので、夫にあとで持ってきてもらうと伝えた。
夫に「破水した」と電話し、一人で産科へ行くと伝える。
お腹の処置は電話で言われた通り、
股から出てくる液体を抑えるためにバスタオルを巻き、車で産科へ行った。
すぐに検査をしてくれた。やはり破水していた。
お腹の中にはすでに羊水がなくなっている状態。
この時点で赤ちゃんは19週と3日。
赤ちゃんの生存は難しいでしょうと言われた。
そのまま泣き崩れてしまった。
先生は、何とか頑張って22週まで持ちこたえたら
そのあとは処置できる病院を探しましょう。と言われた。
「お願いします…。」
とただ一言を言うのが精一杯だった。
病院のベッドに車椅子で運ばれる。
涙で何が起きているのかもさっぱり分からなかった。
すぐさま点滴と採血。私は泣いていることしかできなかった。
夫が駆けつけた。それと同時に先生が来て詳しい説明をしていった。
この時は、やっぱり赤ちゃんは難しいということしかよく分からなかった。
ショックのせいなのか、破水のせいなのか分からないが熱を出した。
体がほてっていて熱かった。
夫と二人になり、
「ごめんなさい…」
泣いて謝る私に、夫は
「何で謝るんだ。謝る必要なんてない。
体は平気か?お腹は痛くない?」
と言って手を握ってくれた。心配してくれた。
しばらく泣いて落ち着いてくると、夫は私の腕を見て
腫れている事に気づく。点滴が漏れている。
その腫れ具合を見てびっくりする夫。
緊張感の無いおかしな顔をした夫に思わず笑ってしまった。
すぐに点滴をやり直す。私は血管が真ん中に無いらしく、
おまけに見つかりにくいらしい。すぐ左腕に刺しなおして貰った。
二人で色々話した。まだ落ち着いていない私と夫だけど
この時に出来る限りの事を話した。
面会時間はとっくに過ぎていたが、病院側が考慮してくれたおかげで
夜遅くまで話し合うことが出来た。
夫は一切私のせいにはしなかった。
むしろ、感染症や母体の安全を考えて、私に
「次、頑張ろう?ね?」
と優しく決断してくれた。
私は「うん」としか答えることができなかったけどとても嬉しかった。
ありがたかった。
一人ではなく、二人で決断したんだということに…。
夫が帰ったあとはひたすら泣いていた。
「ベビちゃんごめんね。ごめんね…」
何度もつぶやいては泣き。全然眠ることが出来なかった。
お腹に待望の赤ちゃんを授かりました。
2008年10月~11月
子宮に水が溜まっていると言われ心配していたが、11月には収まっていた。
出血も無く、異常なし。産科先生にも至って順調と言われる。
2008年12月
11月末くらいからひどいつわりに悩まされる。
ほとんど毎日吐いていて、体重が7キロも減った。
12末には落ち着いてきて、少しならご飯が食べられるようになっていた。
乾燥肌に悩まされる。食べないし冬だし、顔も体もガサガサだった。
2009年1月
やっと5ヶ月になった。安定期に突入。
このまま順調に行けば、かわいい赤ちゃんと対面できるだろうと思っていた。
1月半ばくらいから全身に湿疹?が出来始めた。
ネットで調べたら妊婦湿疹。とくに太ももがひどい。

