忍者ブログ
流産(死産)の体験や育児、家族について書いてます。 現在、息子が神経芽腫(小児がん)で手術し回復、経過観察となっています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ICHIの初七日。
でも何をしていいのか分からない…。
お骨しかないし、いつものようにご飯(一番に炊いた米)をあげる。

水子供養について調べてた。
私達やICHIにとっても、夫の実家にとっても都合のよいところはないかと
ネットで探してみた。
明日、義父が田舎へ帰るので聞いてみようとも思った。

最近、ICHIに話しかける癖がついてきた。
そのせいか、いつも身近に感じて割りと元気だ。
食欲もある。ICHIのつわりの時に7キロ痩せたので、太らないようにしなければ…。
ただでさえ太めなんだから。
夫もICHIによく話しかける。その姿を見るととても嬉しく思う。

二人とも私の大事な家族だ。

これからも私はICHIに話しかけるだろう。ずっと…。

拍手

PR
気が付けば、泣いたまま朝になっていた。
昼過ぎに夫が帰ってきた。

泣いて伏せっている私に近寄りもしない。
寝ているとでも思っているのだろうか?
それとも、いつまでも泣いている私に疲れて愛想が尽きたのだろうか?
と思ったら、私の隣でいびきをかきながら寝始める夫…。

いくら徹夜で帰ってきたからって、泣き伏せっている妻に対して
どうしてそういう態度ができるのか不思議で仕方が無い。
夫らしいといえば夫らしいけど…。

私はムカついて二階に上がり、一人でじっとしていた。
泣いていたけど、泣いたあとちょっと冷静になって考えた。

もう一度夫に気持ちを伝えてみようと。
もう少しじっくり夫の話を聞いてみようと。
心に決めた。

気分転換のために温かいシャワーを浴びた。
寒さで凍えていた私の体にはとても気持ちよかった。

頭を乾かしている最中に倒れそうになった。
食べてなかったから貧血か?それとも空腹か?
分からなかったけど頑張って、寝ている夫に寄り添ってみた。

夫は
「ごめんね…。」
と言って抱きしめてくれた。私は泣きながらショックだったということを伝えた。
私にとっては最初の子はICHIしかいないんだと。
最初の子じゃないって言われてすごくショックだったと…。

夫は
「そういう意味じゃないよ。俺にとってもICHIは最初の子だよ!
 言うのは恥ずかしいけど、俺だった空を見上げていい天気だったら、
 小声だけど、ICHI、今日はいい天気だなって話しかけたりしてるんだよ。」
「じゃあどういう意味?」

ICHIは確かに最初の子だ。
しかし夫は、次に生まれてくる子にとって、その子自身は自分が長男だと思っている。
私がICHIのリングを作ってもっているのに、次の子のリングは無い。
というふうに、亡くなったICHIばかりに囚われてしまって、次の子はどうなるのか?
と次に生まれてくるであろう子の事を心配していた。
他にも色々あったが、相変わらず言葉足らずな夫。
何を説明しているのかさっぱり分からなかったが、

ICHIを最初の子だと認めている。
私の体と精神面を心配している。
次に生まれてくるであろう子のことも大事にしたい。

ということはとてもよく分かった。
私も同じ意見だけど、きちんと説明して、リングは生まれてくる子全てに平等に作ると
決めて、納得してもらった。体が良くなったら作りに行こうと。

話し合って、納得してもらって、気持ち的にいつもよりまた更に近づけた気がした。
これもICHIのおかげかな。

夫限定で、私の喋れなくなる病が少しだけ治ってきている気がした。
(私は怒られたり、いやな事があると話をすることができなくなる事があります…。
 ちなみに精神科とかには通っていません。性格的な問題なのかなぁ???)

義弟さんの奥さん。つまり義妹さんが心配してメールを送ってきてくれた。
私は周りに恵まれていると思った。家族にはあんまり…な感じだけど、
田舎から出てきて良かったと心底思っている。皆優しい。

いつかまた元気が子が産まれたら、またお披露目できたらいいな。
おめでとう!って言われて産まれてきたらいいな。

拍手

昼頃、昨日の徹夜から夫が帰ってきた。
指輪の話をしてみた。RYOの名前と誕生日入りのリング。
夫は止めたほうがいいと言った。

「ICHIは最初の子じゃなくて、次の子が最初の子になるんだし…。」
「それは法律的にでしょ?」
「法律的にも家的にもだよ」

その会話に私はショックで言葉を失った。一日中泣いていた。
夫はまた仕事に出かけていった。
私はあまりのショックにご飯も食べず、何も飲まずただ泣いていた。

死産だったけど、私にとってICHIは間違いなく最初の子であり、大事な我が子だ。
やはり元気で産まれてこなければ認めてもらえないのだろうか?
それを夫に言われたみたいでとても傷ついた。

どうしたらいいんだろう?
どうしたら分かってもらえるんだろう?
夫にとってICHIは?

否定されたみたいで悲しかった。
何も出来なかった。

ICHIに対してこんなに意見が違うんだ…。
この先、大事なことの意見の相違でやっていけるのか?
不安な気持ちを持ったまま夜を明かした。
泣きすぎて時間の感覚が分からなかった。

拍手

ICHIの火葬の日。
義父がわざわざ田舎から駆けつけてくれた。
義弟さん夫婦も来てくれた。

火葬屋さんに頼んで、火葬の前からICHIを私達の手元に
連れてきてもらった。相変わらず小さくて可愛かった。

火葬が始まる。
今日も笑顔で見送ろうと思ったけど、火葬が始まると泣いてしまった。
夫が支えてくれた。
お経も唱えてもらった。
義弟さん夫婦はICHIのためにお花を持ってきてくれた。
とても嬉しかった。

義父達の前では元気にしてた。心配かけるといけないし、
何より、私だったら何て話しかけていいのか分からない…。
だから、破水した時のことや、入院中のことなどを話した。
正直、来てくれただけで嬉しかった。
ICHIをお披露目できた。本当にそれだけで十分だった。
(実父は来てくれようとしていたみたいだからいいものの、うちの家族とはえらい違いだ…。)

お骨になったICHI。骨は残らないかもしれないと言われていたが、
かなりのお骨が残った。だいぶしっかりしていて、けっこうな骨が残った。

ICHIが初めて家に来た。お骨になってしまったけど、今日から自宅で過ごすのだ。
納骨は義母が眠るお墓に入る事になっている。が、入るのは半年先。
ICHIの物(エコー写真とか)は水子供養し、ほとんど何も残さない方向にした。

私は、何も残らなくなるのがちょっと悲しくて、(母子手帳、へその緒は残すけど)
ICHIの誕生日と名前の入ったリングを作ろうと思った。
ICHIがいたんだよという証を身に着けていたいと。
なんか記憶だけっていうのも寂しかったから…。
夫は何ていうだろうか?

帰ってからすぐ、夫は仕事に出て行った。仕事の締め切りが近いのだ。
その後、今日も声をあげて泣いてしまった。
いつか泣かない日がくるだろうか?先は長い。

拍手

朝の検診で退院が確定した。

家に帰って一息つくと、声をあげて泣いてしまった。
大人になって、初めて声を出して泣いたのではないだろうか?
ICHIには謝っても謝りきれない。

家にはICHIに話しかけた思い出。
それと同時い破水したときの記憶が残っていて何とも言えなかった。
トイレにいくと、破水した時の事を思い出して怖くなった。

泣き止んでから少し冷静になった。
私の破水は原因不明だった。
先生も「縁が無かったとしか言いようが無い」と言う。
ネットで調べてみた。

やはり原因は分からなかった。
同じように原因不明の人も何人か居た。

お腹に力が入っていたのかなぁ?
通勤で歩いていたのが悪かったのかなぁ?
考え出したらキリが無い。

次に赤ちゃんができたら、この経験を生かしたい。
ICHIの二の舞はさせない。絶対…。
天井に向かって話しかける。多分ICHIは近くにいるだろう。

夫が退院祝いにゴディバのチョコを買ってきてくれた。
退院したのはめでたいけど、ICHIの事を考えると祝っていいのか
分からなかったという夫に「ありがとう!」と感謝する。
本当に夫が夫で良かった。
夫の気持ちが嬉しかった。

今日は久しぶりに夫と一緒に眠りについた。
夜はやっぱりICHIの事を思い出して何度も起きてしまうが、夫といると安心できた。

拍手

朝の検診で、明日の退院になりそうだと分かった。
ICHIの火葬の日に間に合いそうで良かった。

ICHIの棺に入れる手紙を書いた。
涙が出てきて中々進まなかったけど、
伝えたい事は最後まで書くことができたと思う。
夫も昨日の夜、泣きながら手紙を書いたらしい。

やっぱり涙なくしてはいられない。
これから先も、ICHIを思い出しては泣き、
顔を思い出しては笑うんだろうな…。(あまりにもそっくりで…)

夫が来た。相変わらず毎日来てくれる夫。
退院したらどこかに出かけようと話した。
来年もまた子作りしようと。
今度はICHIもついてるんだからきっと大丈夫だと。

私はこう思っていた。あまりに綺麗に産まれて来たICHI。
人によっては、見せてもらえない状態で産まれて来る子もいると先生が言っていた。
ICHIは私のお腹から出てきた時までは生きていたんじゃないだろうか?
頑張ってたんじゃないだろうか?

「ICHIは綺麗に生まれてきたね。もしかしたら22週まで、お腹の中でももったかもしれないね…」

「分からないよ。早く出してあげたから、あんなに綺麗に産まれたのかもしれないよ。」

夫の言葉に「そうだね…。」としか答えられなかった。

赤ちゃんがお腹の中で死ぬと分かっていてそれを待つのか、
それとも、死ぬと分かっているからこそ苦しませないように早く出してあげるのか。
答えは出ないと思う。早く出してあげないと、母体の状況も危なくなる場合があるし。

そういえば退院した時に、友人一人にだけ、妊娠と流産を伝えた子からメールが来ていた。

「とにかく、MaMa美が無事でよかったよ」

涙が出た。
色々と前向きに頑張ろうと思った。

拍手

ICHIが出棺する日。
昨日、火葬屋さんが来て一通り説明してくれた。

夫は朝からICHIの服やおもちゃを買ってきてくれた。
ICHIには何もかもが大きかった。
赤ちゃん用の手袋の半分の大きさで、RYOの帽子になるくらいだった。

ICHIの為の洋服、おもちゃ。涙が出てきた。
夫が私の前で初めて涙を見せた。私は初めて夫のつらさに気づいた。
子供を亡くした私を元気づけようと笑顔で支えてくれた夫。
どんな気分でICHIの服やおもちゃを買いに行ったんだろう…。
店員さんは笑顔で「お子さんにですか?プレゼントですか?」と言ってきただろう。
夫は言葉に詰まっただろう。
夫を抱きしめて頭を撫でた。
「ごめんね…」
私はいろんな意味を込めて謝った。つらいのは私だけではないのだ。

夫がICHIを抱っこして棺に入れた。
顔が血だらけだったらしく、火葬屋さんはICHIの顔を綺麗にしてくれた。
親なのに血だらけなの事が気づかなかった…。どうしていいのかも分からなかったし。
もっときれいになったICHIは本当に夫や義父にそっくりで思わず笑顔になった。
病気や傷のようなところもなく、とても可愛かった。

棺に入れたあと、病院の皆さんがお花を入れてくれた。嬉しかった。
笑ってみていようと思っていたけど無理だった。やっぱり泣いてしまった。

部屋からICHIが出棺したあと、安静にしていないといけない私は
夫と二人で泣きながら抱き合った。
「頑張ったね…。ICHIのためにも、次また頑張ろうね。」
しんと静まり返る部屋に、夫の腹の虫が鳴る。
タイミングよく鳴くお腹に二人で爆笑してしまった。

夫が帰って一人になると、どうしても泣いてしまう。
ましてや今日は、夫が私の前で初めて泣いたのだから。

夜、検温に来たベテラン看護士さんが涙を拭いてくれた。
ちょっとお話もした。

「産後はお腹がすくのか?」

「流産だとしても、産後と同じだからお腹がすくものよ。」

とパンをくれた。ここの病院は皆優しい人達ばかり。癒される。

夜中、心霊体験だろうか?
私には可愛がってくれていた祖父母がいる。
もうすでに他界しているが、私は今でも心の中で思い出したり話しかけたりしている。

車椅子で隣にだれかがやってくる感覚がした。
車椅子といえば祖父しか考えられない。
「おじいちゃん?」
と問いかけてみると、その感覚は無くなった。
怖いような怖くないような不思議な感覚。
もしかしたら祖父はいつまでも泣いている私を心配して来てくれたのかもしれない。

天国の皆さん、ICHIをよろしくお願いします。
何度もつぶやいて眠りについた。
 

拍手

朝の検診で、子宮口が柔らかくなっていた。
バルーンは入れなくて済んだ。陣痛をつける薬を子宮に入れた。
1日に3時間か4時間おきに入れていくらしい。
陣痛が収まらないようにするためだろうか?

ベッドで安静にしている。まだ痛くない。
夫に電話した。
「早ければ今日中に生まれるかもしれない。そしたら電話する」

その後すぐにお腹が痛くなった。陣痛だ。
看護士さんを呼び、分娩台にあがる。
ここでまた検診し、具合によってはまた陣痛の薬を入れるという流れだった。

はずなんだが、どんどん痛くなるお腹。痛くて寝ていられなかった。
時計を見ながら痛い感覚を計ってみた。すでに5分感覚だった。
看護士さんがパンツの中を見ると、赤ちゃんが出始めていた。
すぐに点滴と血圧計?をとりつける。

先生が来るとすぐに出産の体系になっていた。
赤ちゃんはすぐに生まれた。なんと43分。超スピード安産だった…。
夫を呼ぶ暇も無かった。出産後、すぐに夫へ連絡してもらった。

赤ちゃんは生まれてすぐにどこかへ連れて行かれ、見る事も出来なかった。
私は子宮の掃除をするときに麻酔を打たれたらしく、そのまま朦朧としていた。
赤ちゃんを見たかったけど、夫と一緒に見ようと思っていたが夫はすぐに来なかった。

朦朧としたまま2、3時間が過ぎ、そろそろ自分の部屋に行かないとと思ったが
立ち上がる事ができず、看護士さんに支えられたまま車椅子へ移動。
しかも吐いてしまった。意識がとんだまま自分のベッドに入る。
全然動く事が出来ずに時間だけが過ぎていく。

夫が到着すると院長先生の回診があった。
赤ちゃんはとてもきれいに生まれてきたそうだ。
動けなかったが意識はあったので、「麻酔効き過ぎたね~。」なんて話もした。

夫に

「何ですぐに来なかったの?」

と聞いたら、

「やっぱり元気に産まれて来るなら早くくるけど、
 亡くなってるから遅くても大丈夫かと思って…」

という言葉がかえってきた。ちょっと悲しかった。
もしすぐに来ていたら、赤ちゃんは生きていて、抱っこできたかもしれないのに…。

しかも、立会いできるんだと思っていた夫は

「産まれました!男の子でしたよ!」

の連絡に

「えっ?産まれちゃったの??」

と会話していたそうです。夫も残念がっていました。

麻酔が切れ始めたのは夜8時半くらいだった。
出産してから8時間近く立っていた。

赤ちゃんを部屋に連れてきてもらった。
普通に生まれた赤ちゃんが寝るベッドに居た。嬉しかった。
タオルが掛けられている。我が子ながら見ることにドキドキする。

まぎれもなく私の赤ちゃんだった。夫と義父にそっくりで笑ってしまった。
親バカだろうか?とても可愛かった。
顔立ちはしっかりしていたし、骨格もきれいだった。
むしろ笑っているように見えた。自己慢な錯覚かな…。

赤ちゃんは胸で手を合わせていた。病院側の配慮が嬉しかった。
男の子だった。体を見ていたら、爪もあった。小さい…。

看護士さんは陣痛や出産時の時間、母体の状況などの理由から
とても親孝行なベビーだったと言った。涙が出た。

名前もつけた。夫が、男の子だったらこれにしようといくつか候補にしていた名前。
今日は夫の宿泊許可が出たので、息子のICHIと一緒に3人で寝た。

今日、2月3日はICHIの誕生日で亡くなった日だった。


拍手

子宮口がだいぶ固いらしい。
今日から薬を止め、ラナミリアという海藻で出来た棒を入れ始めた。
朝と夕方で交換しながら増やしていく。
朝は10本近く入れ、夕方はプラス5~10本くらい入れたらしい。
入れるときはかなり痛かったが、我慢した。
痛かったけど、お腹の赤ちゃんの事を考えれば痛くなかった。
痛いと言う事も叫ぶ事も出来なかった。
だって、赤ちゃんはこれから死ななければならないのだから。
それに比べたら、私なんかが「痛い」「苦しい」「つらい」なんて言えなかった。

入れた後は生理痛みたいな痛さが続く。
陣痛はもっと痛いんだろうね。
子宮が広がれば、明日から陣痛をつけていくらしい。
明日か明後日には産声をあげない赤ちゃんが産まれて来る。
これくらい頑張らなくちゃ・・・。


夫が、シャワーもあびることのできない私に、体を拭くための液体を
買って来てくれた。それで体を拭くと、だいぶすっきりした。

夫は毎日通ってくれる。会いに来てくれる。
とても嬉しかった。夫と居るときは、なぜか笑う事もできた。
夫が夫で良かったと心から思った。

拍手

久々に頭を洗った。夫が体を拭いてくれた。さっぱりした。

病院に来てからずっと熱が出ていた。普段の平熱は35.5度。
熱は36.8度~37.4度くらいを行き来していた。
この日、やっと熱が下がった。

前向きにと考えて、実両親に電話をした。
私の両親は別居中。仲が悪いわけではなく仕事の関係でだ。
まあ仲も若干悪いかもしれないが…。
はっきり言って私は実家があまり好きではない。

父は私の体を心配してくれた。涙が出た。
流産の原因を疑問に思いながらも最後まで話を聞いてくれた。

母はあんまり人の話を聞かなかった。ただびっくりしてうるさかった…。
あまつにさえ、兄の彼女の子供
(うちとの血の繋がりは無く、出来婚ですぐに×1。私はこの人をあまり好きではない)に、
「MaMa美頑張れ~」と笑いながら言わせる始末。腹が立った。子供に罪は無い。
が、実母なのにその態度はなんだと腹立たしくて仕方なかった。
父とは別の意味で涙が出た。悲しかった。
本当なら私の実家にとって、私の赤ちゃんが初孫なのに…。

夫が帰ったあと、あまりの母の態度のひどさにむかついて泣きながら怒っていた。

拍手

[1]  [2]  [3]  [4
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
MaMa美
息子:ICHI
息子:平助
コメント
[08/04 まめ]
カウンター
忍者ブログ [PR]